写真が好きだ(3)

スティーグリッツは裕福なドイツ系ユダヤ人移民の家庭に生まれます。幼少時代を ニューヨークで過ごしますが、1882年に父親の勧めでドイツのベルリンに機械学を勉強しに留学します。ベルリンで単玉カメラを購入し写真を撮影するようになります。 1887年にロンドンの"アマチュア・フォトグラファー"誌のコンテストでP.H.エマーソンに認められ賞を受けています。 1890年にニューヨークに戻り、数年間写真製版の会社に勤めた後に当時まだ記録するメディアだあった写真をアートとして広めることに専念するようになります。ヨーロッパで主流だった写真表現の啓蒙を志したのです。 当時としては画期的なハンドカメラを使用して名作「ターミナル,1892」などを撮影しています。 写真専門誌の編集者を勤めながら、1897年に自らが結成したカメラクラブ・オブ・ニューヨークの機関誌 "Camera Note"を創刊します。1902年にはフォト・セセッションを設立し、写真独自の芸術性を提唱し、有名な季刊誌"カメラ・ワーク"を創刊します。 1905年にはスタイケンが発案したと言われるフォト・セセッション作品を展示する写真専門ギャラリー"291"をニューヨークの五番街の291番地にオープンします。世界最初の写真ギャラリーのひとつである"291"では写真、欧州のモダンアート、前衛作家の作品を展示しました。 ちなみに彼は若いジョージア・オキーフと1908年にこの場所で知り合っています。2人は1924年に結婚しています。 スティーグリッツはソフト・フォーカスがかかった絵画風の写真を展示したり出版していましたが彼の写真自体は手を加えないストレート写真でした。1892年に初めてニューヨーク市街を撮影したときは絵画的なソフトな雰囲気を出すためにあえて雨や霧の日に撮影を行なっていたことが知られています。 その後彼は写真を絵画の模倣から解放し新しい方向に向けることを考えるようになります。 アートはすべて作家の人生における哲学と同じであるべきで写真表現の方法として、手を加えないストレート写真こそが個人表現の最適だ、と主張するようになります。彼の業績は絵画的な傾向の強かった欧州中心の19世紀の写真から、20世紀の新しい写真の方向性を示したことにあります。 アンセル・アダムス、ポール・ストランド、エドワード・ウェストンらのストレート写真を支持し、それは1920年〜1960年代のアート写真の主流の写真表現となりました。 写真イメージ、出版、ギャラリー運営、著述とスティーグリッツが伝統のない米国アート界で写真を通しての独自の文化表現の確立に与えた影響は計り知れません。業績と合間って、写真に対する情熱と妥協しない姿勢、そしてカリスマ的な個性によりスティーグリッツはアート写真界の伝説の人物となっています。
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