ハワイ(1)

xx2.jpg 15年ほど前、ハワイに部屋を借りて、2年かけて写真を撮った。 ホノルルで不動産をやっている知人夫婦にお願いして部屋をみつけてもらったのである。 ワイキキビーチからすぐの高級マンションの最上階だ。 奥さんの祖父が使っていた部屋で、しばらく空室になっているので使ってほしいと言われた。 その2年前に、私は奥さんの祖父と会食したことがある。 中国美術に造詣が深くて、美術品もかなり所有していた。 私と同姓で出身も同じ河南省なのでお互いに意気投合したのである。 私の家系は一代ずつ名前に使う文字が決められている。 全部で13の文字が、代ごとに順繰りに使用されるのだ。 最近はこういう風習はなくなったが、本名のほかに字(あざな)として使うこともできるので、どちらかに自分の代に使う文字を入れればすぐにわかるようになっている。 彼女の祖父と父親の字の流れが、同じ13文字に連なっているので源は同族と考えられる。 彼女の祖父は94才だったが、わたしのほうが上の代だったので、「爺爺(イエーイエー)」と呼ばれて面食らってしまった。 私は2年間、その快適なペントハウスを拠点にして写真を撮りまくった。 ビザの関係で3カ月以内にいちど東京に戻らなければならなかったが、ハワイにいる時のほうが体調もずっと良かった。 鎌倉と青山のギャラリーはスタッフに任せたほうが順調だったので、すべてに於いて安心できた。
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NEWYORK

ニューヨークへは、20代のころから毎年のように行っている。 最近はまったく写真は撮らずに帰ってくるほうが多い。 ギャラリーに行って写真の買い付けをしたり、商談したりしていると時間はどんどんすぎてしまう。 2001年の9.11テロの数日前で私は滞在していた。 思い出すたびに胸が痛くなる事件だ。 私の弟子がNYのアートスクールで写真の勉強をしていて、その彼女がライカで撮った写真があまりにも生々しすぎる。 彼女はそれらの写真(ネガ130本)を封印して、いまはファッションの世界で活躍している。 その130本のネガは、いまなぜか私が保管している。 「預かってて」と事件の1年後にNYから送りつけてきた。 これらの写真は、彼女の大きな財産になっていると思うな。
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雲上酒話

私の住まいは神戸の魚崎地区で、まわりは酒蔵に包囲されてます。 東に行けば剣菱 北に行けば桜正宗 西に行けば菊正宗 南には小さな蔵が私の行く手を塞いでいる。 まじに、酒蔵に取り囲まれた一角で禁酒生活を送っている。 地獄のような環境ですわ。 先日、その酒造会社の専務さん(高校の同級生だ)と一緒に呑んだ。 禁酒と言っても土、日だけは解禁日なので、ここぞとばかり秘密の場所で秘密の酒をいただいた。 なんで、こんな旨い酒がつくれるのに、しょうもない酒ばかり売っているんだと言ったら そんなことやってたら蔵がつぶれます って答えが返ってきた。 あまりにも全国区になりすぎて、売らなければやっていけない状態になったとか。 おいしい酒は地酒として、小さな蔵がコツコツつくればいいんだと。。。。。。 なんだかな〜〜〜;;; 六甲山頂にある、彼の隠れ家で朝まで飲んだ。 灘の酒の恐ろしさをはじめて痛感した。ほんとにうまいんだ。 眼下に見えるは芦屋、大阪の灯り。それをつまみに酒の話しを延々と談じた。
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周易

易と言えば夜な夜な筮竹を手に取り、道行く悩みある人々を占う易者が一般的だが 5000年ほど前から易の原型なる占卜(せんぼく)は中国に存在していた。 小学生のころ、両親に手をひかれて三宮の街を歩いていたら 怪しい易者に呼び止められた。観てもらったのは私だが それいらい、易に異常に興味をもちはじめた。 父に相談したら占いというよりか中国の史書である「易経」を勉強するほうがよいと言われ 曾祖父が自ら綴じたという古い書物をもらった。 もちろん、すべて漢字でチンプンカンプンだった。 中華学校で習う現代文とは異なって、古文にあたるので理解するのに時間がかかった。 陰陽二つの元素の対立と統合により、神羅万象の変化法則を説く易は伝説上の伏羲が書かれたという。 その後、神農が編じて周文王が卦辞をつくり、周公が爻辞をつくったとつたえられている。 孔子は晩年に易経十翼を編んだ。当時は竹簡、木簡で書かれていて 孔子は3度も綴じている糸が切れたぐらい易経を読んだという逸話が残っている。「韋編三絶」 私はもう40年以上も易経を勉強しているが、未だ易という宇宙観、哲学が理解できないでいる。
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一日の食事

最近は週休5日ぐらいですね。 と、いうのは肝臓の休日のことです。 以前は毎日のように飲みつづけていたのですが、肝炎を患っていることもあって 自分の身体は自分でまもるしかないと悟って、きっちりと食生活から変えてしまった。 朝は5時に起床して軽く運動。6時に朝食。ヨーグルト+果物。サラダにタマゴぐらい。 7時30分から徒歩で元町の暗室&オフィスへ向かう。約8キロ、1時間15〜40分。 道路のルートによっても違うが、写真を撮りながら歩いているので時間はバラバラだ。 9時ぐらいにはオフィスにたどり着いて、暗室作業をしたりする。 昼食はだいたい14時ぐらいになる。友人が経営する中華料理店で、しっかりと栄養をつけます。 注文せずに適当に作ってくれるので、賄い食のようなものです。 図々しく、いつものように二人前をこさえてくれる。 私が大病をしたことを知っているので、脂こてこての中華ではなく、すごくあっさりして旨いものばかりです。 夕食は、ほとんどサラダ系で豆腐とかそういうものが多い。 ツレのほうは、しっかりと食べている。 こういう生活をしていると、自然とお酒を飲むタイミングがなくなり健康になってきました。
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体調

長年の不摂生で7年前にガンを患った。 幸い早期の発見で治療で完治しましたが、それからというものは体調が変わったのか すぐに疲れがでたり、首、肩、腰の痛みに悩まされてきた。 検査をしても、ガンのほうは完治していてほかの病気も見当たらないと言われた。 今年に入ってから酵素を飲みだし、酵素温浴にも通いはじめた。 介護のストレトとかも溜まっているので限界に近かった。 週に2度酵素温浴に入り、自宅でも液体の酵素を購入して毎日入っている。 効き目としては4カ月でだいぶ改善しました。ひどい肩こりがなくなり頭痛も消えていた。 カメラを持って、最近はよく歩くようになった。 天気のいい日だと10キロ以上は歩いている。おかげさまで体脂肪も下がって 家庭のヘルスメーターだが19にまで落ちて喜んでいる。 とにかく健康が第一。 90才をすぎるまで写真を撮りつづけたいですから。 食生活も出来るだけ無農薬に徹している。
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パミール

20代の体力は残っているだろうか? この秋に計画しているパミール越えに、体力がついていけるよう いまから鍛えている。歩くのは10キロ以上、毎日つづいているが 腕の筋力をつけるためにジムに通いはじめた。 小学校から高校まで空手をやっていたので 少しはましかなと思っていたら、体はほんとに正直ですね。 初日からあちこちと筋肉痛ですわ。まずい。。。。 ゆっくりやらなければ。 プールで1時間歩いた。 これは、腰にいいので続けることにした。ダンベルは筋肉痛が収まるまで少し休憩する。
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Camera

デジタルカメラの普及で、写真アートの評価ががらりと変わった。 数年前に木村伊兵衛氏のオリジナルプリント展が銀座で開かれた。 ほとんどがデジタルに興しての作品だった。 いくらプリンターのインクが素晴らしいと説かれても、氏がバライタ紙でプリントした写真にはとうてい足下にもおよばない。 私が所有する木村氏のオリジナルプリントと同じ写真が展示されていた。 見ているだけで情けなくなった。 カメラを介してのフォトアートは、これからどういう道をたどるのだろうか。 万人が所有するデジタルカメラに危惧の念を抱いた。 版画アート、シルクスクリーン、リトグラフは世界でも評価を得ている。 カメラとフィルムを介してのフォトアートと デジタルのフォトアート 化学作用で作られる暗室アートと プリンターとインクで作られるアート ギャラリーのオーナーとしても凄く悩むところです。 カメラを使っての芸術は同じなのだが、、、、、、、
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沖縄

沖縄に仕事場をつくって1年半が過ぎた。 昨年の九月に2度目の引越しをして、やっと落ち着くことができた。 最初は新都心近くにオフィスを構えた。両親のリハビリを考慮しての至極便利な場所を選んだのだ。 おもろまちの新都心に住んでいると、沖縄にいるという感覚はまったくなかった。 鎌倉や神戸の自宅で生活してることとなんら変わらなかったし、またそれ以上に便利すぎた。 暑い夏の日に普天間基地周辺を撮影しているときに、いまの一軒家を見つけた。 120坪の敷地に30坪の平屋作りの外人住宅だ。 僕は18歳のころ返還前の立川基地周辺の米軍ハウスに四年ほど住んでいたことがあって、 あの当時のアメリカンハウスのつくりとおなじだったことに懐かしさを覚えた。 当時の写真に対する志しも思い出して、ここでまたゼロになった気持ちで頑張ってみようと決意して速攻で決めた。 庭の真上にときどき飛来する米軍機の爆音がやかましいだけで、 あとはなんの問題もなく快適に仕事をしている。 暗室もつくり、雨の日は一日中暗やみのなかで充実した時間を過ごしている。 立川基地のランドリーゲートに住んでいたころは、 僕の愛用カメラはアサヒペンタックスSP1台のみで、レンズは標準レンズだけであった。 50ミリの視野でみっちりと撮りまくった。その当時、広角や望遠は欲しいとは思わなかった。 広角と望遠レンズを買ったのは20歳になってからである。 シルクロードに行くのが決まったときに、 僕のことを弟のように可愛がってくれた読売新聞の記者に広角28ミリと100ミリをぜひ持って行きなさいと勧められたからだ。 小さい頃から身についた50ミリの構図は画面がつくりやすい。 はじめての広角レンズで、僕はそのあとずいぶんと悩んでしまったのである。
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ウエスタン

中学、高校時代にカントリーウエスタンに狂った。 そのとき知り合った彼女がカントリー通で すごく格好よかったので、どんどん引き込まれてしまった。 彼女は私よりひとつ年下だが、中学を卒業して高校はすぐに中退して音楽に夢中になっていた。 高校のとき、私の写真のモデルはほとんど彼女だった。 いつも小豆色のTシャツに細いジーンズ。 16の誕生日にお互いにプレゼントしたウエスタンギターがいまも私の部屋の片隅にある。 いろいろ、ふたりで歌ったカセットテープも山ほど残っている。 ジョニー•キャッシュとジューン•カーターが、ふたりの憧れだった。 17才の彼女の死は、わたしにとっていまも心が曇ったまま晴れはしない。
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